わたしの中の珍獣たち①
40代後半から50代にかけての数年間、引きこもり状態だった私。
言葉が聞き取れない
考えを言葉としてまとめることができない
言葉にして表現できない
という一方で
ぼんやりとしたイメージ
光や音、香りや手触りといった感覚
人やモノがまとう雰囲気
などの信号を感じていました。
私が私であって、私でない感覚
そんな一面もあったように思います。
社会生活を営むうえでは困る面が多かったのですが、自分に向き合うという面では貴重な数年間でした。
“私が私であって、私でない感覚”
この感覚は
私が欠点だと思っていた自分の一面を、異なる角度から見つめなおす
という機会を贈ってくれたのです。
最初の贈り物は「吃音のあるわたし」について。
10歳くらいからの付き合いとなる「吃音」
NLPなどの心理学的な学びのおかげもあり、少しずつ気にならなくなってきていたものの、人前で話すとなると条件反射のように「吃音が出たら……」と登場する不安。
どうして吃音=私なの?
それを忘れて話しているときはない?
吃音がでる私だとしても、それも大切な私だよね。
これまで皆に見せないように、隠そうとしていたんじゃない?
ことばに詰まる私も「私」の仲間に入りたいって思っているんじゃない?
私であって、私ではない「私」が語りかける時間。
あふれる涙とともに、切り離そう、存在を否定しようとしていた「吃音のあるわたし」を私の中に招き入れる扉が開いたようでした。
それ以降、まったく吃音が出ないかといえば・・・
今でも、時おりことばに詰まることもあります。
それでも、その“ことばに詰まる私”も大好きな「私」には変わりありません。
このことに気づいて(実感して)から、自分の欠点たちが可愛いドラゴンに思えるようになりました。
次回からは、そのドラゴンたちについてお話ししたいと思います。