言葉を味方につける
こんにちは。Hanaことばを運営するライター山田朋子(Tomoko Yamada)です。今日は、私が「言葉を味方につけた」体験をお話ししたいと思います。
人生を変えるには「使う言葉が大切」だと言われます。たくさんの本にも書かれていますし、セミナー、特に心理学系・自己啓発などではこんなふうに言われたりもします。

「普段から口にする言葉に気をつける」
「ポジティブな言葉を使う」
「アファメーションが有効」
実際、身体を動かしながら「私はできる!」と大きな声で言ったことも(今、思い出しても恥ずかしい…)もちろん、その学びや体験がきっかけとなり「変わった、変われた」という方もいらっしゃいます。ただ私にはあまり効果はありませんでした。
当時の私の悩みは大きく分けると3つ。
1つ目は、子どもの頃から続く吃音(きつおん)
2つ目は、両親ことに母との関係
3つ目は、人との距離が縮まらない(心から親しくなれない)こと

でした。
今日は1つ目の『子どもの頃から続く吃音(きつおん)』について。「言葉を味方につけた」と思えた時、どんなふうに変わり始めたか、そして今の状態についてお伝えします。
ひと口に吃音といっても、一人ひとり違います。私は小学校の途中から始まり、歌をうたう時や無意識にでる独り言では言葉に詰まることはありませんでした。
ただ、人に話しかける、挨拶する、電話に出る、電話を掛けるなど「こちらから話す」「話す必要がある」「相手から見られている」となると大変!最初の言葉が音となって出ず、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせるばかり。
家族に話しかける時ですら、「お母さん」の「お」が言えないことも。忙しいときにはイライラした様子の母に子ども心にも傷つき、また、まるで吃音がなかったかのように接する様子には「言葉が出ないことを他の人に知られてはいけない=悪いこと・恥ずかしいこと」だと思い込んでしまいました。
この最初の言葉に詰まる、声(音)として話すことが出来ないという状態は、自意識過剰な10代だけでなく医療系の学校に進学してからも、そして社会人になってからも続きました。
話そうとしても声にならない、口パク状態の私を相手に見られるのも恥ずかしい。また電話口で「えっと、えっと…」以外に応えられなくて、相手に笑われるのも情けない。でも1日中、誰とも口をきかずに過ごすことは無理。
その頃の私は、家で受話器を持ち、電話を掛ける練習をしたり、電話を受ける(取る)イメージ上のロールプレイをしたりもしていました。職場で緊張する相手をイメージして練習するのですから、今思えばかなりキツイ時間でした。

ここまで読まれたあなたは、こんな疑問がわきませんでしたか?
「いつも、言葉に詰まっていたの?」
「どんな場面でも、吃音で困っていたの?」
実は…言葉に詰まらずに話していたことも多々ありました。休憩時間のおしゃべり、お店での買い物、友人と過ごす時間など、言葉に詰まることもあれば、そうでないこともあったのです。
ですが、私の中では「私は吃音」「私は言葉に詰まる」という公式がガッチリと出来上がっていました。そのため、楽しい時間を過ごしても「言葉に詰まった場面」ばかり思い出し、楽しさを半減させていたのです。
自宅での吃音軽減に向けた一人イメトレも、精神的にキツイ割には効果を感じず
「この先、ずっと吃音を気にしながら過ごすのだろうか?」
「いつも人前で話す場面から逃げないといけないのだろうか?」
と思い始めた頃に出会ったのがNLP(神経言語プログラミング)でした。
偶然、あるサイトのNLPとは何か?というページを見つけ、うすうす「私の吃音は、身体の問題だけではなく心(脳)も関係しているのでは?」と感じていた私は、最後まで一気に読み進めました。
そして、その勢いで講座を受講することに。理屈というより「これだ!」という直感だったのかもしれません。

予想に反して、単に座学で知識を得るのではなく、自分の体験と結びつけながら1つ1つのワークを行うNLPプラクティショナーコース。ともに学ぶ仲間やトレーナーの前で「吃音が悩みであること」「人との付き合いがうまくいかないこと」など自分の胸の内を話しました。
誰も「大したことじゃない」とか「もっと大変な人もいる」など、アドバイスや慰めをするのではなく、私の言葉を受け止めたうえで『(この先)どんなふうになりたい?』と訊いてくれたのです。
私はどんなふうになると嬉しいのだろう?
最初に浮かんだのは
「緊張せずに、人前でも話せる、電話の応対もできるといいな」
↓ だけど緊張する私も想像してしまう…
そして、どんな状態の私でいたら、今の望みに近づくだろうかと考え
「落ち着いて人前で話している、電話の応対もスムーズにしている」
という最初のなりたい姿が自分の中にも出来てきました。
この”なりたい姿”が浮かんだ時、自分でもハッとしたことを覚えています。これまでの人生で「人前で話して拍手をいただいたこと」「特に気にせず電話でやり取りした体験」もあった、という記憶が蘇ってきたのです。
つまり、私が自分自身に持つセルフイメージ(=公式)「私は吃音」「私は言葉に詰まる」が、例外に気づかせなかったのかもしれない、ということでした。
この日から私の公式が少し、そして大きく変わりました。
「話すとき、私は言葉に詰まることもある」
「どんな状態の私もOK」
言葉が私の味方となってくれました。
私と吃音がイコールではなくなり、「やっちゃった」ということもあれば、「我ながら上手くできた」ということもあるという日常が始まりました。
あれから10年。
今の私は、セミナーを開催して人前で話すことも、オンラインで相手と顔を見ながらやり取りすることも、電話で打ち合わせすることも「あたりまえ」のように行なっています。
言葉に詰まることがまったくない、というわけではありません。
緊張すれば、話し出しがスムーズでないこともあります。そんな私を「緊張したよね」と受け止める私がいます。「次はこんなふうに始めてみよう」と私に合うやり方を見つけています。

もともと持っていた、持ち続けていた公式=セルフイメージも、ある面では私を支える言葉だったので、感謝して「書き換え」「バージョンアップ」をしているとも言えます。
過去や今を否定してポジティブな言葉にするのでもなく、無理にアファメーションで新しいセルフイメージを持つのでもなく、自然にそしてその人に合ったやり方で自分の公式=セルフイメージを書き換えていく…
もし、あなたが何かに悩んでいるのなら、自分の持つ「セルフイメージ」を知ってみることをお勧めします。
「セルフイメージ」について、より詳しい内容を知りたい方はこちらもオススメです
↓
セルフイメージ – NLP-JAPAN ラーニング・センター