私の3つのSHIGOTO Part2
(Part1はこちら)
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読み続けたくなる文章に近づける
(修正してより良いものにする)
という仕事を始めたとき、家族に言われたことがあります。
「昔から、書くこと好きだったよね」
吃音による話すことへの苦手意識からだけでなく、そもそも「書いて表現することが好き」だった私。
いつの間にか、自分の好きを忘れていたようです。
こうして「収入のための仕事」は、書くことから始まりました。
その書く力を上げるために、学んだり、教わったり(叱られたり・・・笑)
なかなかOKをいただけず、落ち込む日もありましたが
指摘を素直に受け取ろう
きっと次につながるハズ
と気持ちを切り替え、続けていくうちに
他の依頼をいただいたり
任される部分が増えてきたり
嬉しいことも増えてきました。
そのときに気づいたことがあります。
書くことが好きなことも
相手の伝えたいことを汲み取ろうとすることも
トラブルを起こさず仕事を続けていけることも
神さまが与えてくださった才能なのかもしれない。
その才能を使っていくことが、これからの人生で大切なことなのだと。
こうして「人生で成し遂げたい志事」は、いただいた才能を出し惜しみせず、自分のためにも社会のためにも使っていく、という思いへつながったのです。
才能というと、誰にも真似できないくらい突出して秀でたもの、のように思いがちですが、私は「自分ではさほど苦にならず、普通にできることの中にあるのではないか」と思っています。
もちろん
プロスポーツ選手のような誰にも真似できない才能、もあると思います。
こうして、3つのしごとのうち「収入のための仕事」「人生で成し遂げたい志事」の2つに少しずつ取り組めるようになり、私は自分自身の過去にも向き合えるようになっていきました。
そのとき考えたのは、「取り組んだものの、望むような結果を出すことができなかった要因」です。
実力不足・準備不足という当たり前のものから「過去の私の在り方へ」思いを馳せたとき……
「神さまが喜ばない方を選んでいたのではないか?」
と思うようになりました。
朋子という漢字のとおり、私の名前には「月」が2つあります。
夜を静かに照らし、日ごとに姿を変えていくお月さま。
神さまは私に「月のような在り方を望まれていたのかもしれない」と思うようになったのです。
自分が太陽のように中心となって輝くことより、「目の前の人を輝かせるため、与えた才能を使うように」ということなのでは?
しかも
新月と満月
闇と光
相反するものを内包するように。
こうして「神さまからの司事」は、両親から贈られた名前のように「矛盾すら包みこむ2つの月のように関わること」という考えに至りました。
私の3つのしごと
「収入のための仕事」
「人生で成し遂げたい志事」
「神さまからの司事」
これらは、それぞれ個別のものではなく、つながりを持ち、重なりあうものです。
書くこと
言葉にして表現すること
そこには、言葉にできないもどかしさを見えるカタチにすることで
「頭の中も、心の中も、身体の感覚もスッキリとさせること」
そして
「自分の軸が整う感覚が育っていくこと」
が含まれます。
自分の才能を、自分のためにも社会のためにも使っていくことは、
「誰もが持っているギフトに気づき、それを活かして豊かに生きること」
へと続いていきます。
さらに
一見相反するような、ときに矛盾するような言動も照らし、包みこむのは
「その中にある本当の願い、心からの夢を慈しみながら、ともに育てていくこと」
そして
「次の世代へのタネを蒔き、豊かな森を育むこと」
(苗字が、山と田ですから 笑)
世の中、大勢の人に影響を与える役目を持った人もいれば、私のように「ご縁ある周りの方々に、手の届く範囲で関わる役目」もあるのではないかと思っています。
私も嬉しい
相手の方も嬉しい
神さまも嬉しい
そんなSHIGOTOを、これからも続けられたらどんなに幸せだろうと思います。
ここまでの長文にお付き合いくださった大切なあなたへ
本当にありがとうございます。
そして
これからもよろしくお願いいたします。