私の3つのSHIGOTO Part1
日々のスケジュールの中で「私は3つのしごとをしています」
それぞれ
「収入のための仕事」
「人生で成し遂げたい志事」
「神さまからの司事」
です。
そうお伝えしたら
「どういうこと?」
と訊かれました。
(確かに何のこと?ですよね)
ちょうど良い機会だと思い
「私がしごとをどのように捉えているか」
について、少しお話しします。
(少しのはずが、かなりの長文です💦)
引きこもる前……
放射線技師として病院で働いている頃は、
「仕事とは、生活のためのお金を得る手段」
「我慢することで、毎月お給料をいただける」
だから
安定していること(資格)が最優先だった気がします。
社会で必要な職種、意味のある仕事だと思う一方で、「私が人生の半分以上を費やす意味があるのか」ずっと疑問に感じていました。
そんな思いもあり、疑問に思いながら働くより「技師の仕事に人生の意味を感じる、より若い世代に早めにバトンタッチをしよう」と考えるようになりました。
それでも
「国家資格があることで、慣れた環境(医療の世界)で働くことができる」という面から、完全に離れることもできずにいたのです。
そんな宙ぶらりんの私に、人生が問いかけてきたのでした。
人の話が聞き取れない
考えがまとまらない
自分の思いを言葉にできない
技師として働くことができない状態になったとき、与えられた人生から意味を見つけるよう問われたのです。
===
何をするために、今ここにいるのだろう?
===
答えが見つからないまま、同じ問いをずっと考え続けていました。
そんなある日
===
どうして、私は今の状態を選んだのだろう?
===
と別の問いが浮かんできたのです。
そう
聞き取れなくなったのではなく、聞き取れないことを選んだ
考えがまとまらないのではなく、まとまらないことを選んだ
思いを言葉にできないのではなく、言葉にしないことを選んだ
それは何故?
そうする(選ぶ)ことで
===
私は、何を手に入れようとしたのだろう
===
そのとき初めて“私の意味”が一つ見つかりました。
「これまでの体験は、バラバラな人生の断片ではなく、一生をかけて描くアートの一片」だと。
幼い頃から好きだったこと
人生の長い悩みごと
悩みから生まれたこと
と
今(その時)できること
が重なることで、新しい形や色を持ち始めました。
聞き取れないこと・まとまらないこと・言葉にしないことを選んだ私ができること。
それは
「自分の言葉を取り戻し、丁寧に育んでいく」
という
「言葉に向き合う作業」
だったのです。
本を読むことが好きだったのも
吃音を気にして、人前で話すことが苦手だったことも
口にする言葉で思いを伝えることができない分、文字にして伝えてきたことも。
そして
医療の世界で、技師の経験を積むあいだに出会った多くの患者さんたち
その中でも
脳機能の障害で、読み書きや会話にコツがいる方々
認知機能の変化で、言語以外のやり取りが必要な方々
との時間を思い出したとき
言葉に向き合う過程で、ヒントになることをたくさん伝えてもらっていたことも。
全てが『今(その時)の私に必要なこと』でした。
そのおかげで
資料や根拠をもとに、事実を言葉にする文章を書くこと
身体や心で感じとっているけれど、言語化できずもどかしいことを文章にして表現すること
そのどちらにも一歩近づくことができました。
そこから
・医療系のサイトで記事を書く
・そのサイトで一次校正に携わる
・韓国ドラマの面白さを伝える
・俳優たちの魅力を表現する
という仕事へつながっていったのです。
(Part2へ続く)